朝からあいにくの雨。
梅雨時だから仕方がないが、やや小降りになった中をエクシブ八瀬に別れを告げ、前日借りたレンタカーで一路大原に向かった。
若かりし頃、高校生時代だったか、家族ドライブで来たように思うが定かではない。京都には学生時代と会社勤務で5年強住んだし、その後今日に至るまで毎年のように訪ねている。
しかし大原は何かと不便で、来る機会がなかった。
というわけで、実に50年ぶりの訪問となった・・・。
まずは、寂光院。
車を農家の駐車場に預け、暫く歩くとそこはまさに大原の里という感じの農村風景が広がっていた。小雨の中を15分ばかり歩いて寂光院に到着。
説明書によれば、天台宗の尼寺で、594年に聖徳太子が父天皇を弔うために建立したという。その後、壇ノ浦で平家滅亡後、建礼門院が平家一族と我が子高倉天皇の菩提を弔い、終生この寺で過ごしたことはあまりにも有名だ。
それにしても、こんな山奥でよくも・・・という思いが募った。
寺域は広くはなく、そぼ降る雨の中をあっという間に巡ったが、小さいながらも苔むした上品な趣があり、天気がよく時間が許せば、いつまでも佇んでいたい風情であった。
大原の里

寂光院に至る道で 寂光院に登る(以下3枚)


寂光院の本堂

孤雲(茶室)の門

寂光院から、再び車に乗って東に道をとれば、すぐに三千院だ。
こちらは茶店も多く、雨が大粒になってきたにもかかわらず、寂光院の何倍もの観光客で混雑していた。
寺域も広く、雨や時間の関係で全部を見て回ることができなかった。
寂光院と同じく天台宗の寺で、788年、最澄が比叡山根本中堂を創建した時に東塔に仮堂を創ったのがのが始まりと伝えられている。何度か移動した後に大原に至ったということだが、平安時代には門跡寺院となり、幕末まで皇族が門跡になっていた。
本堂の往生極楽院には国宝の阿弥陀三尊像があり、中でも巨大な金箔像である本尊の阿弥陀如来座像の端麗な姿は素晴らしい。
庭園は江戸初期の雅やかなもので、残念ながら下の方の半分しか見る余裕がなかった。苔の緑が雨に映え、さながら幽玄境の趣があった。
雨の三千院もなかなかおつなものだが、ぜひとも紅葉の季節に再訪したいものだ。紅葉どころか、人ばかり見ることになるかもしれないが・・・。
往生極楽院(本堂)にて(3枚)


以下、三千院の庭園



梅雨時だから仕方がないが、やや小降りになった中をエクシブ八瀬に別れを告げ、前日借りたレンタカーで一路大原に向かった。
若かりし頃、高校生時代だったか、家族ドライブで来たように思うが定かではない。京都には学生時代と会社勤務で5年強住んだし、その後今日に至るまで毎年のように訪ねている。
しかし大原は何かと不便で、来る機会がなかった。
というわけで、実に50年ぶりの訪問となった・・・。
まずは、寂光院。
車を農家の駐車場に預け、暫く歩くとそこはまさに大原の里という感じの農村風景が広がっていた。小雨の中を15分ばかり歩いて寂光院に到着。
説明書によれば、天台宗の尼寺で、594年に聖徳太子が父天皇を弔うために建立したという。その後、壇ノ浦で平家滅亡後、建礼門院が平家一族と我が子高倉天皇の菩提を弔い、終生この寺で過ごしたことはあまりにも有名だ。
それにしても、こんな山奥でよくも・・・という思いが募った。
寺域は広くはなく、そぼ降る雨の中をあっという間に巡ったが、小さいながらも苔むした上品な趣があり、天気がよく時間が許せば、いつまでも佇んでいたい風情であった。
大原の里

寂光院に至る道で 寂光院に登る(以下3枚)


寂光院の本堂

孤雲(茶室)の門

寂光院から、再び車に乗って東に道をとれば、すぐに三千院だ。
こちらは茶店も多く、雨が大粒になってきたにもかかわらず、寂光院の何倍もの観光客で混雑していた。
寺域も広く、雨や時間の関係で全部を見て回ることができなかった。
寂光院と同じく天台宗の寺で、788年、最澄が比叡山根本中堂を創建した時に東塔に仮堂を創ったのがのが始まりと伝えられている。何度か移動した後に大原に至ったということだが、平安時代には門跡寺院となり、幕末まで皇族が門跡になっていた。
本堂の往生極楽院には国宝の阿弥陀三尊像があり、中でも巨大な金箔像である本尊の阿弥陀如来座像の端麗な姿は素晴らしい。
庭園は江戸初期の雅やかなもので、残念ながら下の方の半分しか見る余裕がなかった。苔の緑が雨に映え、さながら幽玄境の趣があった。
雨の三千院もなかなかおつなものだが、ぜひとも紅葉の季節に再訪したいものだ。紅葉どころか、人ばかり見ることになるかもしれないが・・・。
往生極楽院(本堂)にて(3枚)


以下、三千院の庭園


